江南市の在宅専門治療室です。健康保険適応の訪問マッサージ。出張による整体・鍼灸・マッサージ。波動測定器メタトロンで個々の体質に合った食性のチェックをしいます。

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のぞみ治療室代表の自己紹介

当ホームページをご覧いただきありがとうございます。

わたくし、

在宅専門治療室『のぞみ治療室』
訪問マッサージの『のぞみマッサージサービス』

で代表をしております上田賢一郎と申します。

上田 賢一郎(うえだ けんいちろう)

1966年11月生まれ。さそり座。
愛知県江南市出身。在住中。
25才~35才10年間は長野県茅野市在住。
趣味:読書、健康習慣の研究

 

■取得資格■
はり師
きゅう師
あん摩マッサージ指圧師

セラピストになったきっかけ

 
骨折リハビリ復活挫折・・・
現役続行引退か悩む日々。
怪我から復活 する過程で得た 体の知識 を生かしたい』
この世界に入る切っ掛けでした。

 

スノーボードのインストラクターになって12年目のシーズン。
2002年3月3日、お雛祭りの日曜日でした。

昨日までの暖かい天気とはうってかわり、
その日は朝から晴天に見舞われ放射冷却で気温の低い朝でした。

いつものように朝イチの雪にシュプールを刻む。
ゲレンデコンディションはicy!
久々のアイスバーン。

昨日までのベタ雪に慣れた体には辛い。
スピードがのる。
昨日までとは体感スピードがまるで違う!

上手く乗れない。

体が遅れていく。

スノーボードが暴れだす。

アイスバーンに弾かれ転倒。

得意のリカバリーで体勢を立て直す。
なかなかエッヂが噛まない。

なんとかリカバーできたのだが、
次の瞬間・・・!

立ち木に激突。

鈍い音と共に両足に激痛が走る。

あまりの激痛に痛すぎて息ができない。
その日に限って無線も携帯も持っていない。

しばらくしてパトロール隊が駆け付け救助。
すぐに病院へ運ばれる。


診断の結果は?

左脛骨高原骨折。
前後十字靭帯断裂。
外側半月板損傷。
右膝打撲。

この事故が人生を大きく変える切っ掛けになりました。

出来の悪かった子供時代

子供時代かなり勉強できなかったんです。

とにかく興味がないことには全く意欲がわかない。
テストの点がどうなろうがお構いなし。

その代わり興味のある話の時だけちゃんと聞く。

そんな授業態度のため、苦手な教科は40点以下。
国語算数だと30点以下。

稀に80~100点もありましたが、時には0点もちらほら。
選択問題でくじでも当たらないという運の悪さでした。

ただ、五感を使うような図画工作や体育、理科は大好きでした。

パイロットになるのが夢

中学に入学する頃の夢は飛行機のパイロット。

小学校時代勉強の出来の悪かった私ですが、
中学から始まる英語の授業にとても興味がありました。
パイロットになるには英語が必要と思ったからです。

lesson1。
This is a pen.
lesson2
lesson3
徐々に雲行きが怪しくなってきました。
lesson4・・・・
先生の言っている意味がわからない!

やる気モード低下。

中学1年の一学期で早々と落ちこぼれてしまいました。

それでも何とか中学を卒業し、いやいやながら高校にも入りました。
しかし勉強に対する姿勢は相変わらず。

興味を引く授業はしっかり聞く。
興味がなければ寝る。

そんな学生時代でした。

就職、辞職、スポーツの道へ

高校卒業後は進学する学力も無かったためそのまま就職。
就職先はそれなりの大手企業ではあったものの、配属されたのは典型的な3K現場でした。

危険、汚い、きつい。

何とか3年半ほど勤務したものの将来のビジョンが見えず退職。
すぐに就職しようと考えもしましたが、就職したら出来ない体験をしようと計画変更。

その冬、当時熱中していたスキー・スノーボード修行も兼ね、ひと冬だけ長野県で住み込みの仕事をしてみようと決意。
働きながらボードも上手くなる計画。

当初はひと冬だけ山籠もりをして春には就職するつもりでしたが、冬山の生活に未練があり、正職にはつかずフリーターに。
翌年の冬も山籠りする気でいました。

翌年はただの住み込みバイトではなく、縁あってスノーボードインストラクターとしてデビュー。

でも元々インストラクター志望ではなかったので、計画ではインストラクターを2~3年して基礎を磨いた後、アルペンレーサーとしてやっていくつもりでいました。

当初の計画では最初の2〜3年だけ思う存分滑ったら、山を降りて正社員として就職するつもりでしたが、のめり込むととことんやる性格のため気がつけば30代半ばまで続けていました。

そして35歳の3月3日。
そう、お雛祭りのあの日、立ち木に激突してしまったのです。

スキー場での事故

当時の事を思い出しますと立木に激突した時はすごい衝撃と激痛で息もできないほどでした。
本当に痛かった。
いつもは業務用無線を携帯して滑るのですが、その日に限って充電忘れでスクール内に置いていて、すぐに無線連絡することができませんでした。
それでも激突後しばらくしてパトロール隊に救助され、そのまま地元の病院に運ばれました。

診察の結果は想像以上に酷いものでした。
即入院になりすぐに手術が始まるのかと思いきや、「しばらく手術室に空きがありません」との事。
あまりの痛さに早く処置してほしい。
しかしオペ室が空いていない。

結局、手術をしたのは事故後8日ほど経ってからでした。

その手術ですが、折れた場所が関節と場所が悪く複雑な折れ方だったため、予定よりも時間がかかり終わったのはオペ開始から9時間後でした。

結局この病院には3ヶ月間入院し、その間スノーボード復帰に向け、毎日リハビリに励みました。
しかし関節内の骨折だったため予後が悪く痛みも取れないため、筋力が回復しないまま月日だけが流れて行きました。
骨自体は時間と共にくっついていきますが、それ以外の関節を構成する半月板や十字靭帯は時間と共に治るわけではありません。
そうこうしている内に入院していられる3ヶ月が近づき、回復もままならないままの退院となりました。

退院後は自主リハビリや温泉治療を3ヶ月おこない、6ヶ月後に日常生活ができるまで回復した所でやっと仕事に復帰できました。

骨折自体は治って日常生活もできていましたが、靭帯は切れたままだったので、仕事中は膝の装具が必要でした。装具をしないと脱臼してしまう可能性があったからです。

膝の脱臼を防ぐためには、新たに膝十字靭帯の再建術が必要でした。
そして事故から約1年後、靭帯再建手術を得意とする川崎市の病院で再手術する事が決まりました。

長野と神奈川の2つの病院で1年の内に延べ6回の手術を受け、スノーボーダーとしてゲレンデに復帰できたのは最初の手術から2年経った後でした。

人生の転機

この時の怪我がきっかけになり、身体の仕組みや回復するためのトレーニング方法など興味を持ち始めました。
もっともっと勉強したい、しかし独学での勉強には限界がある。
専門的な勉強をする為には、医療系の学校に入って体の勉強をしなければいけない。
もっと専門的な事を教わりたい。そういう思いが強くなっていきました。

スキー場に集まる仲間は皆何かしら体の不調を訴える者が多かったのですが、痛みで整形外科に行っても湿布しか出してもらえず、レントゲンや検査で異常がなければ何もしてくれない。そう嘆く仲間を多く見てきました。

このような事もきっかけとなり「体をケアする仕事をしたい」「体が悲鳴を上げている人達を楽にさせたい」そんな思いを抱くようになり、長野での10年間の生活に見切りをつけ、愛知県の実家に戻る決意を固めました。

治療家を目指す

実家の愛知に戻って最初に習い始めたのは骨格矯正のカイロプラクティック。
いわゆる整体です。

日本では民間資格ではありますが、アメリカの国家資格を持つ講師にみっちり厳しく教えられ、2年後には全過程を終了する事ができました。

その後、接骨院などで働きながら臨床経験を積んで施術の実力を磨いていきました。
しかし何か満足できません。何か後ろめたい物を感じるのです。

民間資格だけでは筋が通らない!

民間資格だけでは人様の体を触る上で、国が決める最低限の知識が備わってません。
人様の身体を触る以上もっと学ばなければいけないと感じました。
民間資格では思ったように活動できない部分も多かったし治療家としての筋も通したかった。
そしてついに40歳にして国家資格取得に向け専門学校の受験を決意したのです。

鍼灸マッサージの専門学校に入学

昔から鍼灸あん摩マッサージ指圧師に興味があったため、その両方の免許が取得できる学校を受験する事にしました。

しかし問題は入学試験。
高校時代はロクに勉強もせず遊んでばかり。
とても受験に合格する頭脳はありませんでした。
それでも筋を通す為に避けては通れませんので、40歳にしてまさかの高校の参考書を購入。

参考書を開いてみると、高校時代に習った記憶がまるでありません。
それもそのはず、授業時間は睡眠時間でしたから(^_^;)

今思えば、この時が小中高校時代を通して人生で一番まじめに勉強をしました。
頭がオーバーヒートする感覚を初めて体験しました。
そのくらい勉強しました。

人間、やればできるんですね。

当時、入試の倍率が3倍で、現役高校生や大卒の人が多い中で、ろくに勉強してない高卒でブランク22年。
筆記試験も国語がビミョーな出来で、面接も手応えがなく、この日は肩を落として帰宅しました。

結果としては驚いたことに合格していました。

国家資格者として治療家スタート

入学後も老いた頭に日々の勉強は大変でしたが、3年間後には、あん摩マッサージ指圧・はり・きゅう師の3つの国家資格を取得することができました。
そして接骨院、鍼灸院、マッサージ店などで働き臨床経験を積んでいきました。

治療院で働いていると多くのお年寄りと接します。
中には90代で通って来られる元気(?)なお年寄りもいました。
みなさん色々な体の不調を訴えて辛そうではありましたが、みんな自立できています。
どれだけ体の調子が悪くても、自分の足で治療院まで通うことが出来たのです。

最初の頃、治療院で直接目にする事がなかったので気づきませんでしたが、治療院まで通える人はまだいい方で、世の中には自分の力では病院や治療院に通う事も出来ず苦しんでいる人たちがたくさんいる事を知ったのです。
では自力で治療院や病院に通えないお年寄りや障害者の人々はその痛みや辛さをどうすればいいのか?

そして、
「自分が得た知識や技術を、治療院に通う事ができない体の不自由な人々に届ける事が出来るのではないか?」
そういう思いから平成23年に江南市を拠点にした在宅専門鍼灸マッサージ治療院
「在宅ケアのぞみマッサージサービス」を開院しました。

しばらくは勤めていた治療院と並行して半日だけ訪問マッサージをしておりましたが、より多くの患者様の声に応えるため、1年後治療院を退職し平成25年春より完全に独立して訪問マッサージのみで活動をはじめました。

現在は、江南市を中心に、一宮市、扶桑町、大口町、北名古屋市、岩倉市、名古屋市西区、北区で、寝たきりや歩行困難で困っている高齢者や障害者のご自宅や介護施設に伺って、訪問マッサージ、訪問鍼灸の活動をメインに行っております。

愛知県に生まれ育って半世紀が経ちますが、この地域には今まで大変お世話になりました。
そんな地域で「マッサージが必要だけど治療院まで通えない」その様な人々のお役にたちたいと思っています。

今はもう一つ、歳を取ってから病気で苦しまない健康的な体を作るため、未病の状態で体が不調となる前の段階を波動測定器で測定し、一人一人の体に合った病気にならないための食習慣の提案や、それに伴う生活習慣のアドバイスなども行なっております。

私は障害や病気で体が不自由な人たちや、健康な体を手に入れたい、健康寿命を伸ばしたいと思う全ての人々のお役に立てればと思っています。

長文をお読みいただき、誠にありがとうございました。

のぞみ治療室
代表 上田賢一郎

お気軽にお問い合わせください TEL 0587-74-5504 受付時間 8:00 - 19:00 [ 日・祝日除く ]

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